【就活】「尊敬する人は誰ですか?」への正しい答え方

前回に引き続き,就活の話をさせて頂きたい。
今回,私が話をしたいのは,
「尊敬する人は誰ですか?」という質問に対する答え方である。

この質問への解答例をネットで検索すると,
・両親や友人・先輩,ゼミの教授といった身近な人物
・教科書に載っているような,歴史上の人物
・有名なスポーツ選手
といった回答例が見受けられる。
しかし,私はこれら3つの回答例は,どれもはっきり言ってイマイチだと私は言いたい。
まず,その理由を,それぞれのパターンについて説明していく。
その後,この質問への正しい答え方に関する,私見を述べたい。

・両親や友人・先輩,ゼミの教授といった身近な人物
 20代の人が,これまでに出会った人間の数。それは数百人か,多くても数千人程度だろう。もちろん,その中に「並みの人よりもスゴイ人」はいるだろうが,さらに高レベルの,万人にとって尊敬に値する天才的な人物はいるのだろうか?
 両親や先生をはじめとする,身近な人から学ぶことは大切なことであり,それらの人に感謝することは重要だと私も思う。だが,果たして本当に「尊敬」するほどの人間なのだろうか。例えば,両親なんて,全世界の約76億人の中から,偶然自分の親となった2人であり,その2人に感謝こそすれど,彼らが尊敬に値するだけの人物である確率は,数学的に考えてかなり低いと思う。面接官という赤の他人に対しても,尊敬する理由を納得させるだけの客観的な根拠があるのなら別だが,「頑張って私を育ててくれた」といったような主観的な理由を面接という公的な場で披露するのは,なんだか稚拙で恥ずかしいことだと私は思う。

・歴史上の人物
 ネット上の就活情報提供サイトを見ると,織田信長坂本龍馬といった歴史上の人物を例に挙げて,彼らの人物像を通じて,自分の価値観・パーソナリティーをアピールしろ,という言説が多く見受けられる。しかし,私がここで問題だと思うのは,織田信長坂本龍馬といった歴史上の人物のキャラクターは,現存するわずかな文献を基に,主に歴史小説家や時代小説家が創作した,いわば「空想上のキャラクター」であるからだ。例えば,現代の日本人の多くが,坂本龍馬は自由闊達で飄々とした人物だ,という印象を抱いていると思うが,それは司馬遼太郎の創作に因るところが大きい。なお,この辺りの,歴史小説に起因する歴史の実態と認識との乖離に関しては,以下の一坂太郎氏の本に詳しい。

 

・スポーツ選手
 まず,例えばイチロー選手のような,誰でも知っているメジャーな選手を例にあげるのは,はっきり言って陳腐で印象に残らないと思う。上記の「歴史上の人物」の場合と同様,取り上げたスポーツ選手の練習量の多さや本番での強さ,といった情報を,自分自身の強みと絡めてアピールする,といった形になるのだろうが,それは「努力家である」とか「プレッシャーに強い」といった抽象的な自己アピールに過ぎず,つまらないし,具体性・客観性に欠けると,個人的には思う。

 

散々巷にあふれる回答例に対してケチをつけさせて頂いたところで,
次は,「尊敬する人物」に関する私見を披露したい。

私が尊敬する人物として挙げるべきだと思うのは,
「自分が受ける企業が属する業界における,知る人ぞ知るスゴイ人物」
である。
その理由としては,自身の情報収集力の高さを"客観的に"アピールできると同時に,その業界への志望度の高さも"客観的に"示すことが可能だからである。

 例えば,銀行を志望する人ならば...
日本銀行に入行後,ルワンダ中央銀行総裁として出向し,ルワンダの経済再建に尽力した後,日本人初の世界銀行副総裁となった,服部正也氏などが挙げられる。
ルワンダ時代の,服部氏の努力・苦労に満ちたエピソードは,以下の「ルワンダ中央銀行総裁日記」に詳しく書かれている。やや堅い文章ではあるが,非常に面白く,示唆に富んだ本なので,是非一読をお勧めしたい。

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

 

 他にも,メーカー志望の研究者ならば,
日本人サラリーマンとして初めてノーベル化学賞を受賞した田中耕一が挙げられる。同じくサラリーマンとして数年前に青色LEDの開発でノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏は所属していた会社との金銭を巡る裁判沙汰が問題となったのに対し,田中氏については,書籍やインタビューからその謙虚な人柄が伺え,まさにメーカーが技術者として欲しい人材の鏡と言える。

生涯最高の失敗 (朝日選書)

生涯最高の失敗 (朝日選書)

 

 なお,私自身は,尊敬する人物としては,同じくノーベル医学賞受賞者の山中伸弥先生を挙げていた。誰もが知ってる人物で,全然知る人ぞ知る人物などではないではないかとツッコミを受けてしまいそうだが,私は昔から山中先生を研究者として尊敬していて,先生の著作のほとんどに目を通している。自分の大学での研究にも,山中先生の研究に対する取り組み方や考え方を参考に取り組んできた。だから,山中先生に関しては「誰もが知っている」範囲以上の「知る人ぞ知る」部分まで知っていると自負している。

 

以上,「尊敬する人は誰ですか?」への正しい答え方について私の考えを勝手に述べさせてもらった。

ここで,私が一番言いたいのは,ネット上の回答例を考えなしに鵜呑みにするのではなく,自分でどのように答えたら客観的かつ具体的なアピールが可能になるのかを,「自分の頭で」考えた上で,面接に臨むことである。
だから,上記の私のアドバイスも独断と偏見に満ちた私見に過ぎす,書いておいてなんだが,あまりそのまま受け入れて欲しくはない。あくまで「自分の頭で」考えるための,参考として使ってほしい。
繰り返しになるが,ネットで拾った回答をそのまま口にするのではなく,自分ならではのオリジナルな回答を作って面接に臨むのが,最も効果的,かつ楽しいと思うので,ぜひ「自分の頭で」考えることを推奨したい。

 

最後まで読んでいただき,誠にありがとうございました。

【就活】第一志望じゃない会社の面接で、「弊社は第一志望ですか?」と聞かれたら、どう答えれば良いのか

 

 

就活シーズンである。私も昨年、人並みに就職活動をした。その時に一番困ったのが、ずばり

第一志望じゃない会社の面接で、「弊社は第一志望ですか?」と、聞かれた時

である。

 

滑り止めで、業界中堅クラスのT社の面接を受けた時のことである。その頃は、就職シーズンの序盤で、私も「就活」というものの機微が、良く分かっていなかった。そこの選考は、まずグループ面接から始まった。

 

途中までは、我ながら、体良くスマートかつシャープな返答を繰り出せていたと自負する。だが、面接も残り数分といったところで、不意に面接官がぶち込んできた質問。それが

「弊社は第一志望ですか?」

 

私は動揺した。正直言って、「第13志望」くらいで、その会社には全く魅力を感じていなかった。だったら、受けるなよ。という話であるが、やはり就活中は不安なもんで、藁にも縋る思いで、行きたくもない会社の面接を、ポンポンと詰め込んでしまう。そんなもんだろう。

 

良心とプライドをねじ伏せ「第一志望です」と嘘を吐くか、それともいっそ正直に「あ、第13志望くらいです」とカミングアウトしてしまうか。事前に就活本やサイトでリサーチした結果、「第一志望群です」とか言って誤魔化すのはアウトだ、とは知っていた。じゃあ、どうすりゃいいんだ。心中で葛藤する私のことなど構わず、グループ面接は進み、私以外の学生どもは皆、

「はい!もちろん第一志望です!」

と、いけしゃあしゃあと答えていった。面接官のおっさんもご満悦な表情だ。

いや、お前らも少なくとも第一志望ではないだろ。もっと他に第一志望にすべき会社あるだろ。と、心の中でツッコミを入れつつも、目の前に差し掛かった「弊社は第一志望ですか」という凶器に私は怯えきっていた。そして遂に私の回答する順番。

「弊社は第一志望ですか?」

迷いに迷った挙句、血迷った私は、

「あ、えっと、すごい入社したいです。」

という間抜けな返答をした。面接官の表情があからさまに曇る。そうして面接は終わった。2週間後にメールで知らされた結果については言うまでもない。

 

第一志望じゃない会社に落とされたところで、大したダメージでは無かったのだが、私はこの

第一志望じゃない会社に「第一志望ですか?」と聞かれた時にどう答えればいいのか問題

に対してソリューションを見出したいと思い、その日から哲学的内省に励んだ。そして遂に「これだ!」と思える回答を掴んだ。明日は、第四志望くらいのN社の面接。そこで、この回答の有効性をひとつ確かめてみよう、と私は密かにほくそ笑んだ。

 

さて、N社の面接当日である。その日は、個人面接であった。中盤までは何の問題もなく、穏やかで好感触な雰囲気で面接は進んだ。そして、面接も残り10分ほどといったところで遂に来た。

「弊社は第一志望ですか?」

私は用意した回答を返す。

「実は、御社と、もう一社とが、同率一位で第一志望で、まだ悩んでいるところです」

と、ちょっと申し訳なさそうに言う。これがポイントだ。嘘は嘘でも「第一志望です!」と高らかに言うほどの罪悪感は生じない。また、仮に内定を頂いた後に断る際にも、「面接の際に申し上げたもう一社の方に行くことに決めました」と言えば、体良く断ることが可能だ。

 

こう答えると、次に予想されるのは、

「へぇ、もう一社っていうのは、どの会社さん?」

という質問だ。こう聞かれたら、同じ業界で、社風や業務内容、規模が比較的近い会社を適当に挙げておけば良い。どの会社にも、似たような会社はあるものだ。間違っても、地銀の面接で「もう一社はゴールドマン・サックスです」とか答えてはいけない。そういうことだ。

 

さて、面接は、表面上は無事に終わった。

私はN社に受かったのか?

 

 

 

 

私はこの文章を、約3週間後に入社するN社の方との懇親会に向かう電車の中、iPhoneでポツポツと入力している。

 

 

 

 

 

 

 

【書評】アートを学ぶ意味なんてあるの?

「アートを学ぶ意味なんてあるの?」

その問いに「YES」と即答するのが、この本だ。

 

筆者はコンサルタントだが、大学院では美術史を専攻しており、アート業界とも馴染み深い。アート関係者によれば、ここ数年、世界のエリート達の「アート」への関心が高まっているという。

世界のエリート達は、なぜ「美意識」を鍛えるのか?

それを探るのが、この本のテーマだ。

エリート達がこぞって「美意識」を鍛える理由として、筆者が指摘するのは次の二つだ。

一つ目は、現代社会において、「直感」と「感性」に基づいた経営判断・意思決定がますます重要になっていることだ。

従来の経営では、経験に基づく「クラフト」と論理に基づく「サイエンス」の二つが過度に重視されていた。

しかし、現代社会は、物理学的に言えば、複雑系の様相を示している。つまりは、蝶の羽ばたきが巡り巡って嵐を引き起こす様に、ちょっとした因子の違いで未来は大きく変わる。未来は、「経験」あるいは「論理」だけで予測するには、無理があるのだ。

そこで、複雑な状況から、本質を直感的に掴み取る、「アート」の要素が重要になる。ただし、「アート」だけでは、経営は成り立たない。「アート」で牽引するリーダーを、「サイエンス」と「クラフト」に強い人材が支える。それが理想の組織体制だと、筆者は言う。例えば、スティーブ・ジョブズ率いるアップルに、それが体現されていたという。

しかしながら、現状では、決定に関する説明がつく「サイエンス」や「クラフト」に対して、直感や感性による「何となく」に頼った「アート」は、弱い立場にある。したがって、経営のトップこそが「美意識」を鍛えなければ、「アート」の要素を活かせない。

続いて、「美意識」を鍛える二つ目の理由に移る。

変化が早すぎる世界においては、法制度といった外在的な規範・ルールの制定が、現状に追いつかない。いわば無法地帯の様な状況で、経営判断は法律やルールよりも、むしろ個人の倫理観・価値観に委ねられるようになった。

そのため、世界の変化に左右されない、内在的な「真・善・美」の基準に照らして、経営判断を下すことが重要となるのだ。「美のものさし」を用意するために、(心ある)世界のエリート達は「美意識」を鍛えているのだ。

最後に、筆者は「美意識」を鍛える方法として、いくつものアプローチを提案している。例えば、絵画の鑑賞や文学、詩、マインドフルネス、といった方法で、「美意識」は鍛えられるという。

こういった「アートを学ぶ意義」や「美意識の鍛え方」について、詳しく知りたい方は、ぜひ本書を読んでみて欲しい。

【週次書評】先週読んだ14冊のレビュー (2018/2/25~3/3)

先週読んだ14冊の本を,簡単にレビューしていきます。なお,記載した点数については,あくまで個人的な評価であり,あまり参考になさらないことをお勧めします。

 

【1冊目】教養としてのプログラミング講座 [著] 清水亮 

実践としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)
 

 【評価:70点】プログラミングの初歩中の初歩といった内容で,本書だけでは,何かに役立てうるのに十分な知識は得られない。けれども,非常に読みやすいので,より詳しく書かれた入門書に取り掛かる前の前菜としては最適である。薄い本で,2時間足らずで読めるので,ちょっとプログラミングについて知りたい,という程度の人ならば,読んでおいて損は無いだろう。

 

 

【2冊目】バッタを倒しにアフリカへ [著] 前野ウルド浩太郎

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 【評価:90点】ベストセラー作品だが,確かに文句なしに面白かった。同じく途上国を扱った本でも、『ルワンダ中央銀行総裁日記』ほど真面目ではないが、『何でも見てやろう』ほど無目的でもない。適度な使命感とファンキーさを併せ持っている。過酷なアフリカの地でも、研究に熱中し、人脈を広げ、現地のグルメも堪能する。博士の厳しさや経済的な苦労にも関わらず、悲壮感は一切ない。筆者の、人生に対する純真さ、ポジティブさに溢れ、非常に勇気付けられる一冊だった。

 

 

【3冊目】数学ガール/ゲーデル不完全性定理 [著] 結城浩

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

 

 【評価:70点】本書の目玉は,主題のゲーデル不完全性定理よりも,むしろ中盤で触れられる「ε-δ論法」の解説だろう。ε-δ論法は,大学の微積分の授業でまず最初に教えられる。その難解さ,というか大学の数学教授の下手な説明に,理系学生の多くは苦しめられる。本書の「ε-δ論法」の解説は非常に分かりやすい。大学入学時に読んでいれば良かったと悔やまれる。一方,メインテーマのゲーデル不完全性定理については,その大まかな意味はなんとなく理解できたのだが,厳密な数学的証明については全くついていけず,読み流してしまった。後半の不完全性定理の証明を理解できるレベルの人は,このような入門書など手に取らない気がする。

 

 

【4冊目】量子もつれとは何か [著] 古澤明

量子もつれとは何か―「不確定性原理」と複数の量子を扱う量子力学 (ブルーバックス)

量子もつれとは何か―「不確定性原理」と複数の量子を扱う量子力学 (ブルーバックス)

 

 【評価:70点】昨今話題の量子コンピュータの原理を理解するためには,「量子もつれ」について知る必要がある。そこで本書を手に取った。しかし,難解だった。分かりやすく噛み砕こうとする筆者の努力はひしひしと伝わる。だが,如何せん量子力学自体が難解なので,分かりやすく説明しようにも限界がある。結局のところ,「新書で手軽に量子もつれを理解するのは不可能である」ということだけは分かった。

 

 

【5冊目】富嶽百景走れメロス 他八篇 [著] 太宰治

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

 

 【評価:75点】古典的名作を点数付けするのは気が引けるが,「実戦的読書」という観点からすれば,太宰の著作は何の役にも立たない。というか,むしろ害になりうる。その毒にもなりうること自体が,太宰作品の価値・魅力なのだろうが。

 

 

【6冊目】もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら [著] 神田桂一,菊池良

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

 

 【評価:60点】様々な文豪やミュージシャンの文体を模写し,カップ焼きそばの作り方を書いている。ベストセラーだが,総じてみれば,それほど面白いとは思わなかった。ツイッターとかで,単発で見る分には面白いと思うが,まとめて一冊の本にするとなると,どうしても飽きる。ただし,町田康ウィリアム・ギブソンの「カップ焼きそばの作り方」については,思わず笑ってしまった。吉本隆明といった評論家による,衒学的な文体の空疎さを暗に浮き彫りにしているのも面白い。あと,読むとお腹が減る。

 

 

【7冊目】グーグル・アマゾン化する社会 [著] 森健

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

 

 【75点】現代社会のIT化により,「ロングテール」や「多様性」が注目されるようになったといわれる。一方で,グーグルやアマゾンといったトップへと,利益が一極集中する現象が観られるように,多様化が逆説的に「力の一極集中」や「価値観の単一化」も引き起こす点にも目を向けるべきであると,筆者は指摘する。多様化と単一化,グローバル化ナショナリズムといった,相反する性質の間で,人や社会の価値観は絶えず揺れ動くものなのかもしれない。

 

 

【8冊目】目の見えない人は世界をどう見ているのか [著] 伊藤亜紗

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
 

 【評価:80点】これは良書。障害を抱えた人との接し方について、常識とは異なった観点から、新たなヒントを提供している。筆者は、目の見えない人の生き方や世界の捉え方を、好奇の目を持って「面白がる」ことを推奨する。それは、異なった国籍や文化を持った人との差異を面白がるのと同様の、蔑みや憐憫を挟まない、自然な交流の仕方だ。実際、目の見えない人が「見る」世界は、健常者からしたらパラレルワールドの様で、非常に面白い。人間の脳や体が持つポテンシャルに感嘆させられた。タブーを打破する鍵となるのは、ユーモアの力であると気付かされる一冊であった。

 

 

【9冊目】宇宙になぜ我々が存在するのか [著] 村山斉

宇宙になぜ我々が存在するのか (ブルーバックス)

宇宙になぜ我々が存在するのか (ブルーバックス)

 

【評価:85点】良書。素粒子物理学の研究が、なぜ宇宙の解明に繋がるのかを、文系の人や高校生にも伝わるレベルで優しく解説している。クォークヒッグス粒子といった、聞いた事はあるけど何かは分からないモノが、そもそも何なのか、そして何故重要なのかが、良く分かる。ビジネス的あるいは政治的な見方をすれば、莫大な資金と人材を費やして素粒子研究は行われる以上、こういった書籍の形で、一般の人にもその意義を宣伝することが重要なのだろう。サイエンスコミュニケーションのお手本の様な一冊である。

 

 

【10冊目】7割は課長にさえなれません [著] 城繁幸

7割は課長にさえなれません (PHP新書)

7割は課長にさえなれません (PHP新書)

 

 【評価:50点】個人的にはイマイチだと思った。既存の政治・経済制度に対して、ひたすら不満を述べるような内容だ。一面的かつ悲観的で、読んだところで特に有益なヒントは得られなかった。筆者は、大企業や政界の既得権益者のみが旨い汁を吸っていると批判する。だが、本書を読むと、結局のところ「大企業の正社員」になるのが一番という,筆者が批判する結論に、逆説的だが達する。現在の日本型雇用も、筆者が推奨する欧米型の流動的な雇用形態も、学歴や能力、経済力等を基準とした「弱肉強食の世界」である点において、根本的な違いは無いのではないかと、私は思う。

 

 

【11冊目】図解 マナー以前の社会人常識 [著] 岩下宣子

図解 マナー以前の社会人常識 (講談社+α文庫)

図解 マナー以前の社会人常識 (講談社+α文庫)

 

 【評価:75点】現役の社会人にとっては当たり前のことばかりだろうが,新入社員や就活生など,マナーに関する研修を受けたことが無い人にとっては,読んで損は無い一冊かと思う。キングスレイ・ウォードの『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』には、ビジネスマナーを身に付ければ、強力な武器になると書かれている。マナーを、人の行動を縛る「規制」と捉えるのでは無く、武道や舞踊の「型」の様な、効率的かつ洗練されたメソッドと捉えれば、堅苦しいマナーの稽古もちょっとは楽しめるだろう。

 

 

【12冊目】投資家が「お金」よりも大切にしていること [著] 藤野英人

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

 

 

 【評価:85点】大学の書店でやたらオススメされていた。「意識高い系」御用達の自己啓発本だろうと思い、期待せずに読み進めた。だが,予想外に良い本であった。特に、大学生・就活生向けの一冊だろう。「他人や社会の役に立ちたい」と多くの人は口にするが、そもそもお金を使い、経済を回すこと自体に社会的価値がある,と筆者は言う。そう考えると、虚業など無く、ただ生き、金を使うだけで、人の存在価値はある。消費や投資といったお金の使い方に加え、お金・経済自体の意味について改めて考えさせられた。

 

 

【13冊目】夢の叶え方を知っていますか? [著] 森博嗣

 【評価:60点】『すべてがFになる』等の著作で有名な,小説家・森博嗣による自己啓発本。3年ほど前に森博嗣にハマった時期があって、小説やらエッセイやら、ことごとく読み尽くした。その結果、私の思考回路や人生設計は、既にかなり森博嗣ナイズされている。なので、もはや「森博嗣先生が提唱する生き方」と「私自身が追求する生き方」がかなり近接している。本書を読むのも、その重なった線をトレースする様な作業に近かった。「まあ、当然そう考えますよね」という様な、読み心地であった。本書の核心を一言で言えば、「本当に夢を叶えたいなら、まずその夢を具体化し、その実現に向けて"今すぐ"実際の行動を起こせ」ということである。このブログを開設するきっかけとなった一冊とは言える。

 

 

【14冊目】死ぬほど読書 [著] 丹羽宇一郎

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 【評価:75点】筆者は,伊藤忠の元会長である。「読書家は出世しない」という俗説の反例となる方だ。こういった方の存在は,読書好きからすると心強い。社会に出た後も、読書し続けて良いのだ、否、読書し続けなければならないのだ、と勇気付けられる。特に,「仕事」と「人」と「読書」の三つを通じて人は成長する、という言葉が心に残った。筆者の読書論に関しては、佐藤優氏や立花隆氏、齋藤孝氏といった方々のメソッドと被る部分が多かった。

 

以上です。最後までお読み頂き,ありがとうございました。