綴る阿呆

此処には役に立つ記事など無い。あるのは阿呆な話だけ。

2017年に読んだ397冊から,オススメ10冊を厳選する

今更ながら,昨年 (2017年) に読んだ本を数え上げてみたところ,
私は一年間で397冊読破していた事が判明した。
この記事では,その397冊から,オススメの10冊を厳選して紹介したい。

 

福沢諭吉『現代語訳 福翁自伝

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

 

勉強する気が起きない人にオススメ。

斎藤孝先生の著書で推奨されていた一冊。
明治の頃は書物が貴重だった。明治の知識人たちは,その貴重な書物を何とかして手に入れ,それを貪り食うように読んだ。そうして,血肉とした知識を基に,日本の経済・文化・知的水準を大きく引き上げるのに貢献した。片や我々は,どんな本でも簡単にAmazonで取り寄せられるが,大して読書も勉強もせず,凡庸に日々を送っている人が大半だ。現代人こそ本書を読み,自分が如何に恵まれた学習環境にいるかを自覚し,明治の人々のハングリー精神に感化される必要がある。

 

②伊藤祐靖『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』

平穏な毎日に物足りなさを感じる人にオススメ。

全く違う世界に生きる人間の,生き様・思想を垣間見ることが出来る。自分は何の為に生きているのか。そして,何の為なら死ねるのか。という根源的な問いを,喉元に突きつけられる。一方で,筆者の常人離れした思想・経験談は,もはや漫画『グラップラー刃牙』の世界の様で,純粋に読み物としても面白い。

 

服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

 

何かを成し遂げたい人にオススメの一冊

ルワンダに出向した銀行員の奮闘記。筆者は,今のベンチャー起業家の様な派手さはないが,ベテラン銀行員としての知識・経験を武器に,ルワンダの経済を再建していく。私利私欲を排し,ひたすらルワンダの人々の為に奮闘する筆者の姿勢に,心を打たれる。古き良き日本人の実直さも,捨てたものでは無い。

 

佐藤健太郎『ゼロリスク社会の罠』

「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)

「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)

 

文系の人に読んで欲しい一冊

ニュース等で,理系の専門家が「〇〇な可能性が無いとはいえない」とか「リスクは無いとは言い切れない」といった曖昧な返答をして非難されることがある。しかし,理系の人間にとって,断定できない事に対しては,こういった曖昧な言い方をすることこそが,「正確」に伝えることなのだ。こういった風に,理系人間が世の中に対して抱えるもどかしさを伝えるのが,この一冊である。万人がもうちょっと理系的思考を身に付ければ,色々な物事が解決すると思うのだが...というのは理系人間の我田引水だろうか。

 

架神恭介,辰巳一世『よい子の君主論

よいこの君主論 (ちくま文庫)

よいこの君主論 (ちくま文庫)

 

支配者になりたい人は必読。

もし男子小学生がマキャヴェリの『君主論』を読んだら,という内容。個性的な面子が跋扈するクラスを,『君主論』を武器に制覇する男子小学生の話。めちゃくちゃアホな内容だが,『君主論』にはかなり忠実に沿っている。騙されたと思って読んで欲しい一冊である。

 

本谷有希子『腑抜けども,悲しみの愛を見せろ』

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

 

人間の醜さと美しさを味わえ

佐藤優氏が推奨していた一冊。強烈なキャラクター達の個性と個性が絶えずぶつかり合い,ギシギシと不快な音を上げながら,暴走列車の様に突き進んでいく。テキトーな感想で申し訳ないが,「なんか良く分からないけど凄いものを読んでしまった」という読後感の一冊。

 

レイ・ブラッドベリ華氏451度』

本を読まない人にこそ読ませたい

読書が禁止された世界を描くSF小説。読書の重要性がこれほど分かる一冊は無い。しかしながら,本当にこの本を読むべき人間は,そもそも本など読まないという,悲しい現実がある。

 

架神恭介,辰巳一世『完全教祖マニュアル』

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

 

教祖になりたい人は必読

教祖として成功するためのマニュアルである。ジョーク本のようでいて,実は宗教の本質を鋭く捉えている。冗談ばかり言いつつも,目は全く笑っていない,そんな印象の本だ。なお,上で紹介した『よい子の君主論』と同じコンビが書いている。天才かよ。

 

高橋昌一郎『理性の限界』

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

 

初めて哲学を学ぶ人にオススメ。

対話形式で,古今東西の思想家達が「理性」について激論を交わす。平易な会話文で進むため,哲学の知識が無くとも読める。高校生でも,難なく読めるだろう。また,ユーモア満載で,楽しみながら読める。続編の『知性の限界』および『感性の限界』もオススメである。

 

中村文則『銃』

銃 (河出文庫)

銃 (河出文庫)

 

"純文学"をオシャレ感覚で楽しみたい人に

既に色んな媒体で紹介されている一冊だが,文句無しに面白いので,ここでもオススメさせて頂きたい。『銃』をきっかけに,中村文則にハマった時期があり,私も十数冊は読んでいる。中村文則の凄いところは,新刊の度に,新しい要素が組み込まれ,絶えず進化し続けているところだと思う。何を読んでも,「えっ,こんなのも書けるんだ」と驚かされる。まずはデビュー作『銃』を読み,中村文則ワールドを体感して欲しい。

 

 

以上が,397冊から厳選した10冊だ。
こうして振り返ってみると,他の著者に推薦されている本や古典的な名作には,ハズレが少ないという印象である。

なお,私が2017年に読んだ本の全リストは以下の通りである。
(意識高い蟹 - 読書メーターより抜粋)

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ブラックなバイトなんて,今すぐバックレろ

バイトをバックレるなんて,社会的にアウトだ,と大人たちは言う。
だが,私は声高に言いたい。ブラックなバイトなんて,迷わずバックレろ。

大学一年生の頃,3カ月ほど個人経営の居酒屋でバイトしていた。そこが,ブラックだった。具体的にブラックなポイントを挙げると,
・タイムカード打刻後も30分~1時間程度雑用をさせられる。
・22時以降の賃金割増が無い。
・時給は,その都道府県の最低賃金
・体育会系で,ひたすら大声を上げさせられる。
・店長からのパワハラ (一度殴られたこともある)。  等

しかし,働いていた当時は,そこがブラックだという認識は無かった。初めてのバイトだったこともあり,「働くとはこういうものなのか」と思い込んでしまった。苦しいのは,怒鳴られるのは,全て自分の能力不足が原因だ,そう思いつめていた。その頃は,私の人生の中で,最も憂鬱な日々だった。ある日,うつ病診断テストをやったら,「中程度~重度のうつ状態」と診断された。精神科を受診しようかと,何度も迷った。正式に「うつ病」と診断されれば,辞める言い訳になると思ったからだ。

最終的には,店長に「精神的に限界なので辞めます」とメールを一本送り,半ばバックレるようにして,そこを辞めた。返信は無かった。2万円ほど未だ給料が支払われていなかったが,それでも良かった。それよりも早く解放されたかった。それ以降,その土地を去るまでの約5年間,私はその店の前を通ることが出来なかった。周囲の人々の会話の中で,その店の名前が出てくるだけで,動悸を感じた。

私の経験から言わせて頂くと,ブラックなバイトなんて,迷わずバックレてしまえば良い。良心を痛める必要などない。今更礼など尽くす必要も無い。向こうもそれ相応の事をしてきたのだ。文句を言われる筋合いなど無い。何よりも,自分の身と心を守ることが先決だ。ブラックバイトに苦しんでいる人には,今すぐ辞めることを強く勧める。世の中には,探せばもっと楽な仕事が沢山ある。それに,苦しい仕事=自分の為になる仕事では無い。苦しい仕事=他人の為になる仕事という訳でもない。ブラックなバイトで得をするのは,そこの経営者だけだ。バイトさえ務まらないのに,社会人としてやっていけるのか,と自信喪失する必要は無い。今の私は会社に勤めているが,学生時代のブラックなバイトの方が何倍も辛かった。ブラックなバイト先で働いていた頃に,「君は仕事が出来ない訳じゃない。間違っているのは君では無く,バイト先の方だ。今すぐ辞めて良いんだ」と言ってくれる人がいたならば,どれほど救われたことだろうか。

さて,ブラックバイトを経た私は,働くことに対する価値観が大きく変わってしまった。それまでは,自分の好きなことを職業にしたい,そう思っていた。しかし,ブラックバイトを通じて,私の中で「働く=辛い」という認識が定着してしまった。それならば,「好きなこと」よりも「自分が出来ること」を仕事にしよう。そして,出来る限り,楽に生きよう。楽しく生きるのでは無く,楽に生きよう。そう思うようになった。

それからというものの,私はリスクを回避することを第一に,進路を選択するようになった。入学当時に興味があった研究分野がある。しかし,その分野では,就職するのが厳しいことを知った。私は,その分野の研究室を選ばず,学科で最も就職が強いといわれる研究室へと入った。今私が従事している仕事も,「自分がやりたい仕事」というよりも,むしろ「自分に出来る仕事」だ。

正直なところ,この選択が良かったのかどうか,分からない。自分がやりたい研究分野に進み,やりたい仕事を選んだところで,自分が幸せになったとは限らない。しかし,もし私があのブラックバイトを経験していなければ,自分の人生は大きく変わっていたのではないか,なんてふと思う。あの経験が,自分にとって大きな岐路であったことは間違いない。

今からでも好きなことを仕事に出来るのではないか,そう夢見る自分がいる。一度きりの人生,このままで終わってたまるか,という思いもある。しかし,その度に,「そんなのお前には無理だ」という囁きが聞こえる。私は今もなお,ブラックバイトの呪縛に囚われている。

「芸能人の○○に似てますね」という言葉が,本心かお世辞かを見極める方法

誰でも,人生に一度は「芸能人の〇〇に似ていますね」と言われたことがあるだろう。私も,何度か言われたことがある。その時に,決まって疑問に思うのは,「これは本心か,それともお世辞なのか」という事だ。

まず,自分が似ているという,その芸能人の容姿を思い浮かべてみよう。その顔が不細工,いや少なくとも,イケメン・美女では無い場合。残念ながら,その場合は,自分とその芸能人は間違いなく似ている。全く似ていないのに,あえて「あの微妙な容姿の芸能人と似てますよね」などとは,普通言わない。

問題は,自分が似ているという芸能人が,イケメンや美女であった場合だ。この場合,素直に喜んでいいものか,それとも相手に媚を売られているだけなのか,判断がつかない。自分の顔は,自分では見えない。それに誰でも,自分の容姿に対するバイアスがかかっている。客観的な認識以上に,容姿に対する自己評価は高いのが一般的だろう。だから,この言葉が,本心かお世辞かを見極めるのは難しい。

しかし,それを見極められる場合がある。それは,他人が自分に似ているという芸能人が二人以上いる場合だ。そして,その「自分に似ているという芸能人」同士を見比べてみれば良い。もし,それらの芸能人が似ている場合は,自分もそれらの芸能人と似ている可能性が高いと言える。別々の人から,別々の芸能人に似ていると言われて,その二人の芸能人が似ているというのは,全くの偶然とは考えづらい。その二人の間に「自分」という類似点があってこそ,そうなるのだ。逆に,それらの芸能人が似ていない場合には,自分はいずれか (あるいは両方の) 芸能人と似ていない可能性が高い。

これを例証してみよう。例えば貴方が,ある人には「向井理」に似ていると言われ,また別の人には「阿部寛」に似ていると言われたとしよう。どちらもイケメンであることには間違いないが,片や塩顔の代表格,片やソース顔の代表格と,あまりにタイプが違い過ぎる。その場合,貴方はどちらにも似ていない,いや残念ながら,そもそもイケメンなどでは無いと考えるのが妥当だろう。一方で,もし貴方が,ある人には「キム兄」に似ていると言われ,また別の人には「ケンコバ」に似ていると言われたら,貴方がキム兄 (およびケンコバ) にそっくりだということに疑問を挟む余地は無い。

ちなみに,私自身は最近,ある人には「卓球選手の丹羽孝希」に似ていると言われ,別の人には「東山紀之の若かりし頃」に似ていると言われた。私が彼らに似ているかどうか,という判断は,読者の皆様にお任せしたい。

 

小学生の頃に観て,トラウマになった映画

小学生の頃に観て,トラウマを植え付けられた映画がある。

キングコング』だ。

なお,2005年に放映されたピータージャクソン監督版である。

 

 

ピータージャクソンといえば,『ロードオブザリング』だ。
小学生の頃,狂ったように『ロードオブザリング』にハマっていた時期がある。
親にDVDを買ってもらい,学校から家に帰ると,とりあえず『ロードオブザリング』を一章観ることをルーティーンとしていた。イスラム教徒にとっての礼拝の如く,私の『ロードオブザリング』鑑賞も半ば儀式化していた。何故,それほどまでにハマったのか,今となっては自分でも分からない。

 

そんな私を見た母親が,同監督の最新作『キングコング』が上映されていると知り,私を映画館へと連れ出したのも納得がいく。
まさかあんな事になるとは,この時点では知る由も無かった。

 

結論から言おう。

キングコング』はめちゃくちゃ怖かった。

 

何が怖かったかというと,キングコングでも恐竜でも巨大昆虫でも無い。

 

"キングコングが住む島にいる原住民"

こいつらがめちゃくちゃ怖いのだ。

 

怖い原住民が出てくるのは割と序盤の方だ。たしか開始20分かそこらで,こいつらの出番だったと記憶している。うろ覚えだが,主人公一行がキングコングがいる島に上陸すると,原住民の群れに囲まれる。はじめは,こいつらが敵か味方か分からない。主人公の仲間の一人が,原住民の子供にチョコレートを差し出してみる。数秒間間が空く。

すると突然,原住民の男が,そいつの手に噛みついてくる。それを皮切りに,原住民たちは,主人公一行に次々と襲い掛かってくる。

もう,これが怖すぎて,トラウマものだった。
正直いって,このシーンのインパクトが強すぎて,それ以降のストーリーを全く覚えていない。

 

しかし,このシーン。
大人になった今の私が観たら,どうだろうか。
やはり,今も変わらず恐怖を覚えるだろうか。
それとも,「子供騙しだ。何であれほど怖がったのか理解できない」と一笑に付すことになるのか。

 

トラウマを好奇心が凌駕した。
私はこの問題のシーンをYouTubeで探した。

 

すると,あった。

いや,もうサムネから怖い

勇気を振り絞って,観てみた。

 

www.youtube.com

 

・・・

 

やっぱり怖かった

 

 

ふとコメント欄に目を向けた。
すると,一番上がこんなコメントだった。

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みんなトラウマ化しとるやんけ....

 

 

 

 

 

私が面白いと思う人に共通する7つの事

「面白い人」というのは稀少な存在だ。
私の経験から言えば,100人と会って,そのうち「この人は本当に面白い」と思えるのは2, 3人くらいだ。

私は自分自身を「面白い奴」だとは全く思っていない。
だが,面白い人間になりたい,という願望は人並み以上に強い。
貴方が今,最も欲しいものは何ですか?
そう聞かれたら,私は迷いなく「ユーモアのセンスが欲しい」と回答する。
面白い人間になりたい。
面白い人間だと思われたい。
それは私に限らず,全人類に共通する願望だろう。

そこで,面白い人へと変わるヒントを得るため,私は自分が面白いと思う人達の,性格や行動を反芻してみた。
すると,彼らには驚くほど共通点が多いことに気付いた。
この記事では,私が面白いと思う人に共通する7つの事を紹介する。

 

①知人は多いが,友達は少ない。

社交的に振る舞うことは出来て,老若男女問わず,誰とでもそれなりに会話できる。だから,知人は多い。
ただし,群れるのは嫌いで,一人で過ごす,あるいは気が合う数人と過ごすことを好む。

 

②基本的に真面目である。

仕事や学業も,人並みに頑張る。
常識や規則に眉を顰めつつも,一応はそれらを遵守する。
留年はしないし,意外にも本人の特異さからは裏腹に,堅実な企業に就職する人が多い (いずれは脱サラするだろうと私は密かに思っているが)。

 

③他人・世間の目を気にしない。

大多数の人間に好かれようとしていない。
一部の自分が認める人間に認められれば良いと思っている。
他人に好かれるための努力をしない。
それでも不思議と他人に嫌われることは無いのだが。

 

④浪費家では無いが,必要な出費は惜しまない。

無駄遣いせず,食費・生活費はちまちまと節約していたりする。
だが,自分の興味のある事にはポンと金を惜しまず遣う。

 

⑤読書家である。

ベストセラーやミステリ小説を読むタイプでは無い。
むしろ,古典文学やノンフィクション,専門書を好んで読む。
彼らに今読んでいる本を尋ねると,たいてい聞いたことも無い題名が返ってくる。

 

⑥善人でも悪人でも無い。

いわゆる「いい人」では無い。
だが,悪意は皆無で,他人に迷惑はかけない。
つまり人畜無害である。

 

⑦泰然自若としている。

小さな物事に捉われない。
表面上,他人に怒りや不満を示すことがあっても,実際それほど気にしていないように見える。

 

 

以上が,私が面白いと思う人間の共通点だ。
もっとも,これらの要素が,一般の人が面白いと思う人間の特徴と,共通するとは限らない。私は価値観がちょっとずれているから,その他大多数の人からしたら,「変人」の特徴と写るかもしれない。しかし,私は「変人」と呼ばれるような人間の方に魅力を感じるのだ。だから,もし貴方が,これら7つの特徴に当てはまるようだったら,たとえ世間からは「変人」と称されていようと,少なくとも私は貴方を「面白い人間」だとリスペクトするだろう。

スタバに毎日通っていることを大学時代の自分に教えてやりたい

今年の4月から働き出して早4カ月が経過した。働く以前は何よりも「残業」に恐れをなしていたが,なんだかんだ毎日定時で帰ることができている。かといって家に帰ったところで,ダラダラと時間を無駄に過ごしてしまうだけだ。そこで最近は,仕事終わりに近所のスタバに寄ることをルーティーンとしている。

 

私が初めてスタバの門をくぐったのは,大学に入ってからだ。

私はグンマ国の辺境に生まれた。高校時代までは,スタバなどという高度な文明の産物とは何の縁も無い狩猟生活を送っていた。なお,グンマ国民の文化・風習に関しては,以下の論文に詳しい。

 

グンマ国の高校を卒業した私は,晴れて日本の京都にある某大学に入学することとなった。京都に住みだしてからは,毎日が驚きの連続であった。グンマ国民の聖地たるイオンモール高崎に匹敵する巨大建造物がそこらここらに在るのだ。これはカルチャーショックとしか言い様が無い。

 

さて,京都に住みだして1年ほどたった頃だろうか,私は一時的にグンマに帰国した。一週間ほどグンマで過ごし,再び京都に戻る段になって,母は餞別として1枚のカードを私に預けた。

それはなんと「スタバのトールサイズのドリンク無料引換券」であった。

私は驚いた。なぜ母がこのような物を持っているのか。スタバの無料引換券と言えば,グンマのブラックマーケットでは,ダイヤモンドや象牙に匹敵する価格で取引される代物だ。このカードさえあれば,意識の高さチョモランマ級の選ばれし人材のみがその門をくぐることを許されるというあのスタバに,私も入ることが出来る。ふと冷静になった私は,このような希少品を手にしていることを他人に知られたらヤバいと思い,カードをスッと懐に隠した。

母は言う。
「このカードは,貴方にとって大事な日に使いなさい」

 

私は母の教えに従い,この無料引換券を使うに値する「大事な日」が来る日を待った。しかし,貴重な無料引換券を使うに値する「大事な日」など,待てど待てど来なかった。このカードを持っているというだけで,神経をすり減らす毎日だった。いつか誰かにカードを盗まれるんじゃないか,そう想像するだけで夜も眠れなかった。

そうして一年ほど経った。ある日,自暴自棄になった私は,もはやこんなカードなど,さっさと使ってしまおうと決意した。

三条河原町のスタバに突撃した。
オシャレ人間が占める空間の中で,私は明らかに場違いだった。
一刻も早くここから飛び出したい気持ちに駆られた。
だが,その気持ちを押さえつけ,何とかレジまで到達する。
そして,意を決して,カウンターに無料引換券を叩きつける。
私は叫んだ。

「トールサイズでアイスのキャラメルマキアートを豆乳変更で。あとショット追加で,ソース多め,氷少なめでお願いします」

 

・・・

 

数秒間,間が空いた。

 

店員が肩をすくめる。
私はここで敗北を悟った。
私はスタバに選ばれし人間などでは無かったのだ。

 

・・・

 

店員が口を開く。
「あの,申し訳ございませんが...このチケット,期限が切れています...」

 

 

 

大学時代の自分に教えてやりたい。

私は今,毎日スタバに通っている。

「大事な日」じゃないのに何故?

君は,そう問うだろう。

違うんだ。

「大事な日」なんて,待っていても向こうからは来ない。

一日の最後にスタバに行く。

それだけで,その日が「大事な日」になるんだ。

 

 

 

 

 

また意味不明な記事を書いてしまった。
トールサイズのコーヒー,お替りしよ。

【就活】「何社受ければ良いのか?」は数学的に考えろ

【質問】就活で何社受けるべきなのか?

就職活動をしていた頃,私が悩んでいた事の一つに,
「一体,何社受ければ良いのか」という問題がある。

どの先輩に聞いても,どの就活サイトを見ても,
この問いに対する回答は千差万別だった。

「5, 6社で十分」という人もいれば,
「30社以上は受けろ。面接は慣れだ」なんて言う人もいる。

就活を乗り切り,一会社員として働く今にして思えば,これも当然だろうと思う。
何故ならば,単刀直入に言ってしまえば,
「何社受ければ良いのかは,人によって異なる」からだ。

ただし,安心して頂きたい。
私は就職活動を通じて,
「その人が受けるべき会社の数」を調べる,とっておきの秘策を編み出した。
この記事では,それを皆様に伝授させて頂きたい。

私の秘策とは,
「受ける会社の数は,数学的に算出せよ」
というものだ。
これは,以下の4つの段階を踏めば,誰でも簡単に出来る。

  1. 内定が出たら行きたいと思える会社をリストアップせよ。
  2. それらの会社に落ちる確率を仮定せよ。
  3. リストアップした会社のうち,少なくとも一社に受かる確率を算出せよ。
  4. 「受ける会社の数を増やす」あるいは「受かる確率を高めることで最適な応募数へと修正せよ

これだけ読んでも,イメージが湧かないだろう。
そこで,私自身の経験談を語りつつ,上記のステップを解説していこう。

 

 

①内定が出たら行きたいと思える会社をリストアップせよ

ここで,最も重要なのは「内定が出たら行きたいと思える」という部分だ。
私が言いたいのは,「受かっても入るのには気が進まない」いわゆる滑り止めは不要だということだ。
滑り止めに甘んずる人生なんで嫌だろう?
まあ,以下の記事にも書いたが,就活中は不安になって,気休め程度に滑り止めの会社にエントリーシートを送ってしまう気持ちも良く分かる。

ketone.hatenadiary.com

しかし,ステップ④でも触れるが,滑り止めの受験に時間・エネルギーを割くくらいなら,その時間・エネルギーを面接の練習や情報収集に割いた方が何倍も効率的だ。

ちなみに,選考が早い会社の面接を,完全に練習と割り切って受けるのは,OKだ。ただし,その場合には面接練習用の会社を「行きたい会社リスト」の数に含めてはならない。あくまで,「行きたい会社に受かる確率を高める手段」と見なそう。

私自身は「内定が出たら,まあ行ってもいいかな」と思える会社を13社見つけ出した。

 

 

それらの会社に落ちる確率を仮定せよ。

ここで重要なのは,出来るだけ現実的に考えることだ。
なんだかんだいける,なんて考えるな。
「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」という古い言葉があるが,
まさにこの通りだ。
希望する会社の入社難易度自分の実力を知ることが極めて重要だ。

では,①でリストアップした会社に落ちる確率を仮定していこう。
私の場合,「絶対に入れそう会社=落ちる確率80%頑張れば入れる会社=90%運が良かったら入れる会社=95%」と入社難易度を3つにランク分けして考えた。
その結果,こんな感じの編成になった。

A社:落ちる確率90%,B社:90%,C社:80%,D社:90%,E社:80%,F社:90%,G社:90%,H社:90%,I社:95%,J社:80%,K社:90%,L社:90%,M社:95%

ポイントは「絶対に入れそう」と思える会社であっても,落ちる確率80%としたことだ。
多くの就活生が陥る事例として,「絶対に入れる」と思っていた会社の選考で落とされて落ち込み,スタートで躓く,というものがある。
しかし,絶対に入れるような会社であっても「80%の確率で落ちる」と想定しておくことで,落ちても「これも想定内」と心を乱されずに済むのだ。これは精神力の消耗戦たる就活において,大きなメリットだ。

 

③リストアップした会社のうち,少なくとも一社に受かる確率を算出せよ。

このステップは単純な高校数学の問題だ。

私の例で解説すると,
1 - 0.9×0.9×0.8×0.9×0.8×0.9×0.9×0.9×0.95×0.8×0.9×0.9×0.95 = 0.801...
となる。
つまり,私の場合は約80%の確率で,どこか一社には受かることになる。

この記事で紹介している「会社の数を,数学的に導き出すメソッド」において,最も重要なポイントとなるのが,
このステップで算出される「どこか一社に受かる確率」が,90%以上になるように,
「受ける会社数を増やす」あるいは「受かる確率を高める」ことだ。

 

④「受ける会社の数を増やす」あるいは「受かる確率を高める」ことで最適な応募数へと修正せよ

 

ステップ③における私の例では,
少なくとも一社に受かる確率は約80%と算出された。
これを90%以上に高めるにはどうすれば良いか?

当たり前の事だが,それには「受ける会社数を増やす」か「受かる確率を高める」の二通りしかない。

まず,「受ける会社数」を増やすこと。
これは滑り止めの会社を受けろ,と言っている訳では無い。
四季報なりネットなりで情報収集して,「行きたい会社」を新たに見つけ出すことだ。

次に,「受かる確率を高める」こと。
これは,面接の対策をしたり,資格を取ったり,読書をしたり,といった方法で,自分の就活活動における能力を高めることだ。

では,この二通りの方法によって,
私が受ける会社を一つ増やし(落ちる確率90%の会社としよう),尚且つ面接練習や資格勉強に励んだことで全ての会社に受かる確率が1%ずつ高まったとする。
その仮定のもと,ステップ③の計算をやり直すと,
私が少なくとも一社に受かる確率は約83%へと修正される。

こうして「受ける会社を増やす」と「受かる確率を高める」を行い,
最終的に少なくとも一社に受かる確率を90%以上にする。

この時に最終的にリストアップされた会社の数こそ,
「その人にとって,受けるべき会社の数」といえる。

ステップ①でも述べたが,この様に確率的に考えると,
受ける会社の数を一社増やすことよりも,自分の能力・実績を高めて面接に通る確率を高めた方が,効率が良いことが感覚として掴めるだろう。

また,繰り返しになるが,こうして確率的に考えることのもう一つ大きなメリットが,選考に落ちた時のショックが少ないことだ。たとえ何社落ちても,最終的にはどこか一社には受かる確率が高い,ということが分かっていれば,気持ちの余裕を持って就活に臨めるだろう。

 

就活で100社落ちた人の話を,ネットで読んだことがある。
そいつは間違いなく,高校数学さえ出来ない人間だ。
たとえ一社に落ちる確率が99%だったとしても,100社も受けたら約60%の確率でどこか1社には受かるはずだ。
つまりは,受かる確率が1%もない会社を100社も受けていたという事になる。
100社も受ける気力があるのならば,そのエネルギーを少しでも「各会社に受かる確率を高める」ことに振り分けていたら,結果は違っていただろう。

 

この記事を読んで下さった就活生の皆様には「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」そして「確率的に考えろ」という二つの事を肝に銘じて頂きたく思う。

健闘を祈る。