阿呆空間

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二〇代のうちに読みたい本:三島由紀夫『午後の曳航』

少年は皆,夢を抱く。その大半は,大人になり夢を捨てる。彼らの生活は,仕事と女,そして酒で占められる。彼らはやがて結婚し,父親となる。ある者は,自らの叶わなかった夢を子供に押し付ける。また別の者は,安定を選択した自分自身を正当化すべく,子供の芽を必死に摘み取る。

将来,自分がそんな平凡な人生のレールに沿ってゆくことを想像すると,寒気を覚える。私は年齢的には大人に分類される。一方で,同世代の他者と比べて,大人に成り切れていないことを自覚している。私は,そんな自身の未熟さを常々恥じてきた。だから,「平凡な人生なんてダサい」だなんて,子供じみた言葉は,口が裂けても発することはできない。独善的な解釈だが,私が『午後の曳航』から読み取ったのは,まさしく「平凡な人生なんてダサい」というプロパガンダである。

ネタバレで恐縮だが,この物語は,ある人物が殺される運命にあることを匂わせつつ終わる。衝撃的な結末である。だが,もしこの殺人が無かったとしたらどうだろうか。途端に,船乗りが未亡人と愛を育み,その連れ子と交流する,という至極平凡な話に成り下がる。平凡な人生は,面白い物語にはなりえない。若者が死亡したというニュースは,しばしば話題になる。ニュースでは,その若者のもはや決して叶う事のない夢が取り上げられ,失われた無限の可能性が惜しまれる。しかしながら,不謹慎を承知で申し上げると,もしその若者が仮に生き続けたとして,死亡した場合よりもスポットライトを浴びうる可能性は低いだろう。これはただのたとえ話で,私は決して死を肯定したい訳ではない。ただ,三島ならば,平凡な生よりもむしろ栄光ある死を選ぶことだろう。それは,氏の最期から分かる通りである。

余談だが,この本の脇役ながら,強烈なインパクトを放っているのが「首領」という子供たちのリーダー格だ。子供離れした知性と,子供らしい好奇心と残虐性を併せ持つ。伊坂幸太郎『マリアビートル』の王子や,浦沢直樹『MONSTER』のヨハン・リーベルトと同系統のキャラクターである。私はこういうキャラクターに弱い。

子供じみた夢を追い求めることは美しい。平凡な人生を唾棄しようと一向に構わない。私がこうしてブログを書いているのも,やがて平凡な人生を逸する契機となるのではないかと信じてのことである。脱獄不可能といわれるアルカトラズに収容されたある囚人は,スプーン一本を壁に根気強く打ち続け,脱出口を開いたという。私も人生の壁に突破口を開けるべく,この五本の指をキーボードに打ち付ける。 

 

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)