アキタの檻

此処には阿呆な話しかない。

吾輩はミニマリストである。家具はまだ無い。

吾輩はミニマリストである。家具はまだ無い。テレビも無ければ,洗濯機も無い。冷蔵庫も無ければ,電子レンジも無い。ついでに言えば,金も地位も名誉も人望も将来への希望も悉く無い。皆無である。そんな吾輩の事を,友人は「永遠の0」と呼ぶ。斯くの如き無い無い尽くしの吾輩が何故生きていられるのか。それは,ひとえに吾輩が会社の独身寮に住んでいるからだ。独身寮には,テレビも洗濯機も冷蔵庫も電子レンジもある。だから,吾輩が敢えて家具を所持する必要は無い。唯一家具と言えなくも無い所持品として,アイロンがある。先生,アイロンは家具に入りますか?

 吾輩が物を持たない理由を列挙すると,(1) 金が無い,(2) スペースが無い,(3) 掃除が楽,(4) 引越が楽,(5) 持ち物がすぐ見つかる,(6) 物を購入するという行為が面倒というか生きていること自体が面倒,の6つだ。もうちょっと考えれば,あと31つくらいは思い浮かぶだろうが,面倒なので止めよう。端的に言って,吾輩は病的なほどの面倒くさがり,かつ貧乏なのである。ゆえに,吾輩が物を持たないのは半ば必然である。

さて,ミニマリストたる同士を求め,吾輩は千里を歩み,万巻の書籍を読破した。だが,吾輩が同士と邂逅することは終ぞ叶わなかった。否,吾輩はそもそもミニマリストなどと名乗るべきでは無いという事実を突きつけられたのだ。世の中のミニマリズムの定義は,吾輩のそれとは違い,遥かに高尚なものだったのである。

まず,世のミニマリスト達は,吾輩など足元に及ばないほど,オシャレな存在であった。本物のミニマリストは,服装にはとことん拘るのだ。まさに少数精鋭である。彼ら彼女らの服は,無地でシンプルだが,騙されてはならない。あるミニマリストに,彼が着ていた無地の白シャツの値段を聞いたところ,吾輩の一ヵ月分の食費に相当する数字が返ってくた。続いて,その服が,その界隈では有名なブランドの作品であり,その品質が如何に素晴らしく,UNIQLOのペラペラな服を100着買うくらいならそれを1着買った方が良い,という有難い御助言を賜った。無印のシャツにUNIQLOのズボンが唯一のレパートリーたる吾輩などは,ミニマリストの風上にも置けない存在であった。

また,真のミニマリストは,社会への貢献心に満ち溢れている。世のミニマリストの方々のブログを見てみよう。すると,気付くだろう。物に関する記事ばかりだということに。この世界で一番物にお金を使っているのは,実はミニマリストであると言われても驚かない。物を持たない暮らしを標榜するミニマリストが,その実,人一倍物に拘り物を買っている。この事実から導かれる結論は,"物を持たない"という自らの信条に反してまでも,ミニマリストは物を購入することを通じて,人類の経済活動に貢献しているということだ。彼ら彼女らに匹敵する利他的精神を備えた人間は,歴史を辿ってもガンディー,マザーテレサ,スティーブンセガール等,数えるほどしかいない。

さらに,本当のミニマリストとは,厚い信仰心を持った存在である。あるミニマリストの書籍を拝読したところ,ミニマリズムを極めれば,仕事が出来るようになり,友人や恋人にも恵まれ,さらに高潔な人格を手に入れることが可能だ,といった事が書かれていた。「部屋に物が無いと,めっちゃ掃除が楽やわーww」と低俗な次元で満足していた吾輩などとは,格が違う。もはや,ミニマリストは,三大宗教に比肩する思想体系を完成させている。ミニマリズム国が建国され,物質主義に支配された先進諸国に牙を剥く日も近い。

以上より,吾輩にはミニマリストを名乗る資格など無い。本記事のタイトルおよび冒頭の一文は撤回しよう。吾輩はミニマリストなどでは無い。吾輩はプラグマティストである。あくまで完全にプラグマティック(実用的)な観点から,物を持たない生活様式を採択している。吾輩は,プラグマティズムを遍く世界に広めたい。プラグマティズムとは究極にオシャレなライフスタイルだ。プラグマティズムとは,全人類の希望たる"社会的善"だ。さあ,皆の衆よ。我がプラグマティズム教に入信するのだ。そして,プラグマティズム王国を築こう。そこでは,吾輩は王である。