綴る阿呆

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「有意義な休日」という幻想

三連休明けの職場。そこは「如何に有意義な休日を過ごしたか」というアピール合戦の舞台。猫も杓子も3日間かけて装填した思ひ出といふ名の銃弾を撃ちまくる撃ちまくる。旅行に行きましたディズニーに行きましたライブに行きましたビーチに行きました釣りに行きましたゴルフに行きました。そんな中,飛び交う銃弾に怯え,部屋の隅に潜み,声をかけられまいと息を潜める一人の男がいた。私である。私は旅行に行くくらいなら家でゴロゴロしていたいし,ディズニーに行くくらいなら八重洲ブックセンターに行きたいし,人波に飲まれながら生演奏を聴くよりもiPodでじっくりと曲の細部まで聴き込みたい。典型的な休日の過ごし方は,日中は近所の図書館で開館から閉館まで本を読んで過ごし,その後近所のスタバへと移動し閉店まで本を読んで過ごすこと。そんな私が,連休明けのアピール合戦に巻き込まれてしまえば,浅瀬に連れてこられた深海魚の如く,木っ端微塵に粉砕され死に至るだろう。「ずっと本を読んで過ごしていました」などと言えば,即座に「頭のオカシイ根暗な奴」というレッテルを貼られてThe ENDだ。実は私も先月までは,人並みに「有意義な休日」を過ごさねばという義務感を持ち合わせていた。六本木のアート展へ出向いたり,新宿のアート展へ出向いたり,上野のエッシャー展のチケット売り場まで行き,あまりの行列の長さに辟易して何もせず帰宅したり,といった風に有意義な休日を過ごすフリをしていた。だが,それも止めた。「有意義な休日」には金がかかる。体力も要る。私は消費した金とエネルギーに見合うだけの充実感を得ることが出来ない。私はそういう人間なのだ,意気揚々とアピール合戦に加わる彼ら彼女らとは人種が異なるのだ。そう自分自身を納得させた私は,無為な休日に甘んじるようになった。だが,ふと思う。「有意義な休日」を過ごしている人々も,実のところ休日を楽しんでいる訳では無いのではないか,と。本当に休日が楽しかったのならば,必死にそれをアピールしなくとも良い。一人で悦に浸っていれば良い。休日がそれほど楽しくないからこそ,有意義な休日を過ごしましたアピールをすることで,必死に元を取ろうとしているのではないか。「有意義な休日」とは幻想なのかもしれない。そう考えると,ひたすら本を読むだけの無為な休日を楽しめる私は,幸せ者なのかもしれない。いや,ただの変わり者か。