綴る阿呆

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「芸能人の○○に似てますね」という言葉が,本心かお世辞かを見極める方法

誰でも,人生に一度は「芸能人の〇〇に似ていますね」と言われたことがあるだろう。私も,何度か言われたことがある。その時に,決まって疑問に思うのは,「これは本心か,それともお世辞なのか」という事だ。

まず,自分が似ているという,その芸能人の容姿を思い浮かべてみよう。その顔が不細工,いや少なくとも,イケメン・美女では無い場合。残念ながら,その場合は,自分とその芸能人は間違いなく似ている。全く似ていないのに,あえて「あの微妙な容姿の芸能人と似てますよね」などとは,普通言わない。

問題は,自分が似ているという芸能人が,イケメンや美女であった場合だ。この場合,素直に喜んでいいものか,それとも相手に媚を売られているだけなのか,判断がつかない。自分の顔は,自分では見えない。それに誰でも,自分の容姿に対するバイアスがかかっている。客観的な認識以上に,容姿に対する自己評価は高いのが一般的だろう。だから,この言葉が,本心かお世辞かを見極めるのは難しい。

しかし,それを見極められる場合がある。それは,他人が自分に似ているという芸能人が二人以上いる場合だ。そして,その「自分に似ているという芸能人」同士を見比べてみれば良い。もし,それらの芸能人が似ている場合は,自分もそれらの芸能人と似ている可能性が高いと言える。別々の人から,別々の芸能人に似ていると言われて,その二人の芸能人が似ているというのは,全くの偶然とは考えづらい。その二人の間に「自分」という類似点があってこそ,そうなるのだ。逆に,それらの芸能人が似ていない場合には,自分はいずれか (あるいは両方の) 芸能人と似ていない可能性が高い。

これを例証してみよう。例えば貴方が,ある人には「向井理」に似ていると言われ,また別の人には「阿部寛」に似ていると言われたとしよう。どちらもイケメンであることには間違いないが,片や塩顔の代表格,片やソース顔の代表格と,あまりにタイプが違い過ぎる。その場合,貴方はどちらにも似ていない,いや残念ながら,そもそもイケメンなどでは無いと考えるのが妥当だろう。一方で,もし貴方が,ある人には「キム兄」に似ていると言われ,また別の人には「ケンコバ」に似ていると言われたら,貴方がキム兄 (およびケンコバ) にそっくりだということに疑問を挟む余地は無い。

ちなみに,私自身は最近,ある人には「卓球選手の丹羽孝希」に似ていると言われ,別の人には「東山紀之の若かりし頃」に似ていると言われた。私が彼らに似ているかどうか,という判断は,読者の皆様にお任せしたい。